浦上立志の絵と文 2019年

冬の九蟠港

冬の九蟠港

 吉井川河口の海とつながった港。どこまで川か海かわからない。ここからも小豆島へフェリーが出る。

人生はいつも時間切れ 今だあるのは

人生はいつも時間切れ 今だあるのは

 移転前事務所の東隣 加納町4丁目 平成14年から平成31年4月まで、三宮駅山側のこの筋で、よく働いた。六甲山からの出水で、生田川を付け替えて、この筋の大工事をした加納宗七の名を冠した 地名。 この通は、元々、生田川の河川敷だった。豪雨のたびに土砂が堆積して堤防を高くする。その繰り返しで天井川になっていた。それ生田川に付け替えた。

箱根関は天下の険

箱根関は天下の険

 案内にいわく、江戸への入り男と出女に注意。足軽は、フットソルジャー。なるほど。700メートルある上に、暑さが和らいで、天気晴朗。箱根町の有線放送が、イノ シシ退治の鉄砲打ちの予告をしていた。

芦ノ湖の海賊船

芦ノ湖の海賊船

 海賊船に乗って、湖上を渡る。涼風が船首から眺める特等席の外国人女性のス カートを捲りあげるが、気にもとめない。

芦ノ湖の富士

芦ノ湖の富士

芦ノ湖からの雪のない冨士が見えた。富士山は万年雪の山ではなくなった。この一ヶ月後、2019年の台風19号で、関東地方直撃のスーパー台風。それからしばらく、観光客打止め。人類は絶滅の淵にいるとのグレタさんの言う通りだ。

芦ノ湖の駒ヶ岳

芦ノ湖の駒ヶ岳

他の客が、あれは駒ヶ岳という。ばかな、こんなところに(甲斐)駒ヶ岳が見えるはずない。ネットで調べたら、確かに箱根駒ヶ岳。馬に似た山は、全国各地にあるので、駒ヶ岳という山は数知れず。山の美浜町だな。そうだったんだ。

坂根の堰 吉井川

坂根の堰 吉井川

備前八景 坂根の堰
吉井川は広くて気持ちがよい
川幅の広い吉井川下流の堰。見えないところで、水流調整のコントロールに保守担当の労働者が活躍している。愛媛鹿野川ダムの緊急放流は、人災だとして裁判 で争われている。

平井メディケア 201号から

平井メディケア 201号から

吉井川の土手が見える 福岡の田圃を見る母のホームから
母が眺める吉井川土手と福岡の町
水平線のように、吉井川の土手が走る。その土手下の平野に福岡はある。 一遍上人絵伝に描かれた備前福岡の町と農業振興地域の稲穂を眺めて母は暮らしてい る。
 

勝山 酒蔵通

勝山 酒蔵通

中国勝山の酒蔵通り
祖父は、戦前、岡山県警、勝山の駐在所の警察官だった。綺麗な街並みにいたんだなと思う。勝山時代ではなかったと思うが、県北に凶悪事件が起きたとして動員され、しばらく帰らなかったそうだ。1938年 32人殺しの津山事件。これを創作化したのが、横溝正史の八つ墓村であった。

中国勝山 高瀬舟 御前酒

中国勝山 高瀬舟 御前酒

勝山 旭川の高瀬舟
勝山を通るのは旭川。勝山の酒蔵は、長門勇のCM御前酒飲まにゃの 御前酒蔵元辻本店。高瀬舟で岡山まで運んだようだ。戦時には、谷崎潤一郎が、疎開してい て、ここで細雪を書いていたという民家が保存されている。例の妻妾同伴だったのかどうか。ややこしい男だ。

蒜山 鬼女台展望所

蒜山 鬼女台展望所

蒜山 鬼女台
どうして、恐ろしげな名か。角度によって、二つの丘が、女の胸にも見えるが、きっと、この山奥では、女の鬼に違いないということかららしい。

湯原ダム

湯原ダム

  こことは違うが、もうダムはムダだと苫田ダム新設反対で父が生前、一坪地主になっていた。

長楽寺 水戸藩士墓前から

長楽寺 水戸藩士墓前から

 長楽寺という古刹の変転に深い感銘を受けた。 元は、天台宗の開祖 最澄の 比叡山別院だったという。 平清盛の娘が、 天皇に嫁ぎ、生まれたのが安徳天皇。徳子は、壇ノ浦で入水し たが、延命する。長楽寺で、建礼門院として出家し、後、大原三千院に隠棲した。 後、この寺は、踊る念仏、全国を遊行する一遍の時宗に改宗する。運慶の三男作 の激しい気迫の写実的な像が安置されている。私の母は、今、国宝一遍上人絵巻 に描かれた福岡の町を眺めて暮らしている。 室町時代には、円山公園全域を境内地とする広大さであったが、幕命で真宗大谷 廟に地所が割譲させされその後も変転の末、時宗遊行派となった。寺の背後の山 の斜面の難所に、国学者頼山陽の墓、安政の大獄で、憤死した水戸藩士達の墓が、 京都市街を見下ろす。鐘は、戦時に供出させられた。時代に何度も何度も翻弄さ れた古刹。見事な紅葉と桜は何を見たのだろう。

永観堂 ライトアップ

永観堂 ライトアップ

紅葉時期の南禅寺から、永観堂は、立ち止まることさえできない混雑ぶりだ。ラ イトアップは、入場料がいるからか、それほどの混雑もなく、鮮やかさが増す。